277 サメ男(21.サメの丘と聖なる竹)

(前回からの続き)

サメの丘に残る痕跡

今でもカイナルの丘の斜面には、浅い谷のような溝が見られます(*1)(*2)。
サメ男のとてつもなく大きな体が、柔らかい土の上を引きずられた跡(あと)です。

さらに、丘の頂上附近に立つ岩にも、痕跡が残されています。
その孤立した高い岩の最上部に、ぐるっと一周するように、リング状の深い溝があるのです。

これは、かつてウナウナが岩の周囲に、ロープを投げかけた時の溝です。
そのロープは、大きなサメを丘の上へ引きずり上げる際に、彼を助けるのに使われました。

その後ずっとこの地は、プウマノ(サメの丘)と呼ばれ、今でもその名で知られています(N.1)。


聖なる林の竹で切り刻む

ナナウエはあまりにも大きかったので、彼を焼こうとすると、
燃え上がる体から滲(にじ)み出た血と水が、幾度か火を消してしまいました。

ウナウナは、サメの姿をしたカモホアリイの息子を目の前にして、
「その手には乗らんぞ。」と考えました。

そして聖なる竹を割ってナイフを作ることにしたのです。
彼は人々に命じて、カイナルの聖なる林の竹を切り、運んで来させました。

サメの肉は、竹のナイフで千切りにされ、幾分か乾かした後で焼かれました。
しかし、その竹林の竹を全て使い尽しても、未だ、この大きなサメを全部は切れませんでした。

サメの神の怒りが竹を変えた

モホアリイ神( カモホアリイ神のもう一つの呼称)、すなわちウナウナの父は、
その林の神聖さが汚(けが)されたことに、大変怒りました。
いや、それよりもむしろ、その林の竹の使われ方に怒ったのでしょう。

その怒りがあまりに大きかったので、モホアリイはその林の竹から、
あらゆる鋭さや切れ味を、永遠に奪い去ってしまいました。

そして、今でもその林の竹は、この島の他の場所や他の林の竹とは違っているのです。
特に注目すべきは、その竹で作ったナイフは、普通の木で作ったナイフと同じで、切れないのです。

(終わり)
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(ノート)
(N.1) プウマノ(Puumano) :
プウマノ(Puʻu-manō)はハワイ語の合成語です。"Puʻu" が「丘」 、そして "manō" は 「サメ」 ですから、"Puʻu-manō" は 「サメの丘」を意味します(*3)。

(注記)
(*1) Thomas G. Thrum(1907):Hawaiian Folk Tales, 24.The Shark-man, Nanaue. Mrs.E.M.Nakuina, p.255-268.
(*2) Kepa Maly(1997): An Oral History Study;Ipukaiole Fishpond Restoration Project. Ahupua‘a of Kainalu,District of Kona,Island of Moloka‘i, p.106-107.
(*3)Pukui et al.(1974): Place names of Hawaii, Reviced and Expanded Edition, University of Hawaii Press, p.202 and 69.