(新しいお話の始め)
ところが、それらは旧約聖書の歴史と酷似しているのです。
私達はこの偶然の一致を、一体どう説明したら良いのでしょう?
カネ、クー、ロノ;すなわち 「日光、実体、音」(N.3)、
--- これらが寄り集って、トライアドを形成しました(N.4)。
こうして3神は一体化し、クウ-カウア-カヒ、すなわち 「根本的で最高位の一体」、と名付けられたのでした(N.5)。
礼拝に際しては、十分に崇敬の念を表わすために、この神の名に添え名を付けました。
ヒ-カ-ポ-ロア、オイ-エ、すなわち 「この上なく素晴らしい」、などです(N.6)。
(次回に続く)
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(ノート)
(N.1) C. M. ハイド (C. M. Hyde):
スラムさんの著書 "T. G. Thrum(1907): Hawaiian Folk Tales" の第1章は、「旧約聖書の歴史に似た伝説(Legends Resemblng Old Testament History」 、執筆者はニューヨーク生まれ(1832年)の C. M. ハイドさんです。
彼は米国の名門ウィリアムズ大学を卒業した後に神学を学び、40代半ばでアメリカ伝道評議会からハワイに派遣されました。
着任後はハワイで教育・布教活動に従事、聖職者を目指す若者たちの良き指導者・助言者として活躍しつつ、プナホウ スクールの校長、カメハメハ スクールの最初の理事などを歴任し、ホノルルで亡くなりました(67歳)。
さて、ハイドさんはこのお話しの冒頭で、 フォルナンダーさんの著書「ポリネシア民族, 第1巻」に触れています。これから推測されるように、このお話しはフォルナンダーさんの著書に深く関わっています。
(N.2) A. フォルナンダー (Abraham Fornander):
フォルナンダーさんはスウェーデンのオーランドで生まれ(1812年)、北欧屈指のウプサラ大学などで神学を学ぶも家庭の都合で大学を去りました。
1838年、ハワイに着いた彼は捕鯨船で働いた後、ジャーナリストとして約15年雑誌編集を行いました。その後、国家官僚に転じるとカメハメハ5世に才能を認められ、枢密院顧問官に任命されました。また巡回裁判所の判事を命じられ、12年間に渡りその職務に当たりました。
これらと並行して、彼はハワイの民族と歴史に関する調査研究を続てきました。そして1878年、長年の成果をまとめた記念すべき著書、「ポリネシア民族, 第1巻」 をロンドンで出版しました。今ではその内容が疑問視されていますが、この著書は当時、ハワイだけでなく世界中から高く評価されました。彼がホノルルで亡くなったのは1887年11月のことでした(*3)。
(N.3) カネ、クー、ロノ (Kane, Ku, Lono):
現在のハワイでは、カネ、クー、ロノに、もう一つの神カナロア(Kanaloa)を加えて、「4大神」と呼びます。
しかし、天地創造では初めの3神が主役で、カネが光(Light)、クーが実体(根本的な存在)(Substance)、そしてロノが音(Sound)をもたらします(*4)。
(N.4) トライアド(tiad):
ここで言うトライアドは、各々異なる役割を担う3つの神の集合体を指し、ヒンドゥー教のトリムールティ(trimūrti)(三神一体)に近いと考えられます。
なお、キリスト教のトリニティ(trinity)(三位一体)では、父なる神、子なるキリスト、および精霊、の三位は一体で、神は唯一つであると主張します。
(N.5) クウ-カウア-カヒ(Ku-Kaua-Kahi):
Pukuiさんらの辞書によると、「クウ-カウア-カヒは『3神カネ、クー、およびロノの古い名前』と言われている。三位一体の理論が 導入された理由は、ケペリノ、カマカウおよびフォルナンダーが、ハワイの伝説を作り変えて、聖書と整合さようとした点にある。」です(*5)。
この時期には、3つの神がまとって一つの神となり、クウ-カウア-カヒと呼ばれたようです。
(N.6) ヒ-カ-ポ-ロア (Hi-ka-po-loa) , オイ-エ (Oi-e) :
ヒ-カ-ポ-ロアとオイ-エは共に、日本語で言う「添え名」です。
その良い例が 「獅子心王 (the Lionheart)」、12世紀のイングランド王 リチャード1世の添え名です。生涯の大半を戦いに費やした彼は、その勇猛さから騎士の範と讃えられ、人々から獅子心王と呼ばれました。
(注記)
(*1) Thomas G. Thrum(1907): Hawaiian Folk Tales. 1. Legends Resemblng Old Testament History. By C. M. Hyde, p.15-30.
(*2) Abraham Fornander(1878): An Account of The Polynesian Race, Vol.1.
(*3) Abraham Fornander (obituary): The Pacific Commercial Advertiser (Nov.02,1887). p.2.
(*4) David Kalakaua(1888): The Legends and Myths of Hawaii, The fables and folk-lore of a strange people. p.35.
(*5) M. K. Pukui, S. H. Elbert(1986) : Hawaiian Dictionary, Univ. of Hawaii Press.
旧約聖書に良く似た伝説
詳細な著書「ポリネシア民族」の第1巻で、フォルナンダー判事はハワイの伝説を幾つか紹介しています(*1)(*2)(N.1)(N.2)。ところが、それらは旧約聖書の歴史と酷似しているのです。
私達はこの偶然の一致を、一体どう説明したら良いのでしょう?
ハワイの三神は一体
それでは、天地創造についてのハワイ人の説明を、例に挙げてみましょう。カネ、クー、ロノ;すなわち 「日光、実体、音」(N.3)、
--- これらが寄り集って、トライアドを形成しました(N.4)。
こうして3神は一体化し、クウ-カウア-カヒ、すなわち 「根本的で最高位の一体」、と名付けられたのでした(N.5)。
礼拝に際しては、十分に崇敬の念を表わすために、この神の名に添え名を付けました。
ヒ-カ-ポ-ロア、オイ-エ、すなわち 「この上なく素晴らしい」、などです(N.6)。
(次回に続く)
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(ノート)
(N.1) C. M. ハイド (C. M. Hyde):
スラムさんの著書 "T. G. Thrum(1907): Hawaiian Folk Tales" の第1章は、「旧約聖書の歴史に似た伝説(Legends Resemblng Old Testament History」 、執筆者はニューヨーク生まれ(1832年)の C. M. ハイドさんです。
彼は米国の名門ウィリアムズ大学を卒業した後に神学を学び、40代半ばでアメリカ伝道評議会からハワイに派遣されました。
着任後はハワイで教育・布教活動に従事、聖職者を目指す若者たちの良き指導者・助言者として活躍しつつ、プナホウ スクールの校長、カメハメハ スクールの最初の理事などを歴任し、ホノルルで亡くなりました(67歳)。
さて、ハイドさんはこのお話しの冒頭で、 フォルナンダーさんの著書「ポリネシア民族, 第1巻」に触れています。これから推測されるように、このお話しはフォルナンダーさんの著書に深く関わっています。
(N.2) A. フォルナンダー (Abraham Fornander):
フォルナンダーさんはスウェーデンのオーランドで生まれ(1812年)、北欧屈指のウプサラ大学などで神学を学ぶも家庭の都合で大学を去りました。
1838年、ハワイに着いた彼は捕鯨船で働いた後、ジャーナリストとして約15年雑誌編集を行いました。その後、国家官僚に転じるとカメハメハ5世に才能を認められ、枢密院顧問官に任命されました。また巡回裁判所の判事を命じられ、12年間に渡りその職務に当たりました。
これらと並行して、彼はハワイの民族と歴史に関する調査研究を続てきました。そして1878年、長年の成果をまとめた記念すべき著書、「ポリネシア民族, 第1巻」 をロンドンで出版しました。今ではその内容が疑問視されていますが、この著書は当時、ハワイだけでなく世界中から高く評価されました。彼がホノルルで亡くなったのは1887年11月のことでした(*3)。
(N.3) カネ、クー、ロノ (Kane, Ku, Lono):
現在のハワイでは、カネ、クー、ロノに、もう一つの神カナロア(Kanaloa)を加えて、「4大神」と呼びます。
しかし、天地創造では初めの3神が主役で、カネが光(Light)、クーが実体(根本的な存在)(Substance)、そしてロノが音(Sound)をもたらします(*4)。
(N.4) トライアド(tiad):
ここで言うトライアドは、各々異なる役割を担う3つの神の集合体を指し、ヒンドゥー教のトリムールティ(trimūrti)(三神一体)に近いと考えられます。
なお、キリスト教のトリニティ(trinity)(三位一体)では、父なる神、子なるキリスト、および精霊、の三位は一体で、神は唯一つであると主張します。
(N.5) クウ-カウア-カヒ(Ku-Kaua-Kahi):
Pukuiさんらの辞書によると、「クウ-カウア-カヒは『3神カネ、クー、およびロノの古い名前』と言われている。三位一体の理論が 導入された理由は、ケペリノ、カマカウおよびフォルナンダーが、ハワイの伝説を作り変えて、聖書と整合さようとした点にある。」です(*5)。
この時期には、3つの神がまとって一つの神となり、クウ-カウア-カヒと呼ばれたようです。
(N.6) ヒ-カ-ポ-ロア (Hi-ka-po-loa) , オイ-エ (Oi-e) :
ヒ-カ-ポ-ロアとオイ-エは共に、日本語で言う「添え名」です。
その良い例が 「獅子心王 (the Lionheart)」、12世紀のイングランド王 リチャード1世の添え名です。生涯の大半を戦いに費やした彼は、その勇猛さから騎士の範と讃えられ、人々から獅子心王と呼ばれました。
(注記)
(*1) Thomas G. Thrum(1907): Hawaiian Folk Tales. 1. Legends Resemblng Old Testament History. By C. M. Hyde, p.15-30.
(*2) Abraham Fornander(1878): An Account of The Polynesian Race, Vol.1.
(*3) Abraham Fornander (obituary): The Pacific Commercial Advertiser (Nov.02,1887). p.2.
(*4) David Kalakaua(1888): The Legends and Myths of Hawaii, The fables and folk-lore of a strange people. p.35.
(*5) M. K. Pukui, S. H. Elbert(1986) : Hawaiian Dictionary, Univ. of Hawaii Press.