432 この地は海に(13.神官の息子が殺される)

(前回からの続き)

王は、その日一日中、そしてその夜、さらには太陽が高く昇り暖かくなるまで、ずーっと、兵士たちに向けて、「最初にカフルプエを捕(とら)えて処刑せよ。」 と命令し続けました(*1)。

この王の命令に従って、彼らはカフルプエを家のすぐ外に連れ出すと、父の目の前で情け容赦なく、残酷にも息子の目をラウマケ槍(やり)で突いて、石打ちの刑に処しました(N.1)。

このように兵士たちはカフルプエを攻撃しましたが、彼はそれを素早くかわしました。
一方、これを見た神官は、王には彼の子に対する心遣いが無いことを知り、神官の権限を持って声高らかに言いました。

「我が子よ、その体が海水に触れるまで、生命力をみなぎらせよ。何故なら、この地は確かに海の物なのだから。」

カフルプエは、「海へ逃げなさい。」 と言っている父の声を聞くと、王の兵士たちの攻撃から逃れようと、父の最後の言葉に従って、海岸の方へ向きを変えました。

走っている時、彼は長槍で背中を突かれましたが、その困難を乗り越えてマラエの海に飛び込み、海水を血で変色させながら溺れ死んだのでした。

彼の遺体はプエフエフの神社に運ばれ、そこに安置されました。

(次回に続く)
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(ノート)
(N.1) 石打ちの刑に処す(stone):
石打ちは古くから行われていた処刑方法で、聖書にも幾つかの記述が見られます。その中で新約聖書(使徒行伝)に登場し、キリスト教の最初の殉教者とされるステファノも、この石打ちにより処刑されました。


(注記)
(*1) Thomas G. Thrum(1907): Hawaiian Folk Tales, 20. This Land is the Sea's. Traditional Account of an Ancient Hawaiian Prophecy. Translated from Moke Manu by Thos. G. Thrum, p.203-214.