266 サメ男(10.ナナウエは出なかった)

(前回からの続き)

国王のコエレを耕すべし

ナナウエは成長して、いつか成人男子になっていました(*1)。

そしてある時、ハワイ島の王であるウミにより、一つの命が公布されました(N.1)。
「ワイピオ(渓谷)に居住する者は、誰もが皆コエレに行き、国王の大農場を耕すべし(N.2) 。」


奉仕は万人の義務

その作業をするための日は、特別に確保されており、
1アナフル(10日間)の間に、幾日間かが予定されていました(N.3)。

その日は、男も女もそして子供たちも一人残らず出かけて、奉仕しなければなりませんでした。
これを免(まぬが)れるのは、特に高齢の人やひどく衰弱した人、そして乳呑み児(ちのみご)だけでした。

ナナウエは出なかった 

その最初の日、全ての人が出かけました。-- ナナウエを除いて。
彼はずーっと、母の野菜畑で働いていたのです。

これには彼を見かけた人の誰もが、びっくり仰天しました。

このことは王に報告されました。
そして忠誠心の厚い数人が、彼のもとに差し向けられたのでした。

(次回に続く)
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(ノート)
(N.1) ウミ(Umi):
ウミ(ʻUmi-a-Liloa)はハワイ島ピリ王朝の第14代の王で、ハワイ島全体を戦いにより統一したことで知られています。
彼が統一を成し遂げ得たのは、彼自身の謙虚さ、継子(ho'okama)たちの武勇、そして戦いの神クー(Ku-kaʻili-moku)への信仰によると言われています(*2)。

(N.2) コエレ(koele):
コエレとは、農民が耕作している農地の一部で、首長(ali'i)の占有地とされた部分を指します。
その占有地では、農民は耕作を続けなければなりませんが、収穫物は首長の所有物になりました(*3)。
(N.3) アナフル(anahulu):
アナフルは10日間 を意味するハワイ語で、日常生活の1サイクルといった感じで、現代の1週間に似ています。
ハワイの伝統的カレンダーは太陰暦で、太陰( =月)の満ち欠けの周期を基にした暦(こよみ)でした。
その1周期は約30日なので、これを1太陰月( =1月)と呼びました。ハワイでは、これを3等分して3つの10日間に分け、各々をアナフルと呼びました(*4)。

(注記)
(*1) Thomas G. Thrum(1907):Hawaiian Folk Tales, 24.The Shark-man, Nanaue. Mrs.E.M.Nakuina, p.255-268.
(*2) S.M.Kamakau(1961): Ruling Chiefs of Hawaii, Chapter 1 The Story of ʻUmi, p.1.
(*3) P.F.N.Lucas(1995): A Dictionary of Hawaiian Legal Land-Terms.
(*4) Polynesian Voyaging Society:(Home Page)//Hawaiian Voyaging Traditions/Hawaiian Lunar Month.