279 オアフヌイ (2.ヘレマノとオアフヌイ)

(前回からの続き)

ヘレマノ

クカニロコからマウカ、すなわちワイメア山脈の方角に、4kmほど進むとヘレマノです(*1)(N.1)。
そこは、南太平洋から来た人食い首長の残党が、最後に住み着いた場所です。

彼らはそれまで、モクレイアとワイアルアの平原にいましたが、その地域の住民に追い出されたのでした。


というのは、人々は彼らから頻繁に、カマアイナナ(そこの住民)の引渡しを要求され、激怒していたからです。
何しろ、よそ者の首長たちから、人食い宴会用の材料提供を、強いられていたのですから。

オアフヌイ(大オアフ)

ヘレマノの東方で、クカニロコからもほぼ同じ位の距離にあるのが、オアフヌイ(大オアフ)です(N.2)。
ここは、もう一つの歴史的な場所です。

かつてここには、この島の王たちの邸宅がありました。
伝承によると、人食いのよそ者たちが流れ着く前まで、この場所は別の名前で知られていました。

(次回に続く)
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(ノート)
(N.1) ヘレマノ(Helemano):
「ヘレマノ」の名は今でもこの地域に残されており、ワヒアワ市の約3km北にある米国軍用地 もその中の1つです。
しかし、「かつてこの地に、人食いが住んでいた痕跡は何も残っていない。なぜなら、この地はパイナップル農園だったから。」と言われています(*2)。
(N.2) オアフヌイ(Oahunui):
ここでは、「オアフヌイ」とは王たちの居住地を指していますが、これとは別に、クカニロコ・バースストーンと並ぶ有名な「石」を指す場合もあります。
この石は「オアフヌイ・ストーン」とも呼ばれ、形状がオアフ島に似ていると古くから評判で、ハワイの人々の間ではこう言われていたそうです。
「オアフヌイの回りを回ったことが無いならば、オアフ島全体を回った、などとは絶対に言えない(*3)。」

(注記)
(*1) Thomas G. Thrum(1907): Hawaiian Folk Tales. 13.Oahunui. Mrs.E.M.Nakuina, p.139-146.
(*2) DOA(1988): Final Environmental Impact Statement for Army Family Housing New Construction at Helemano Military Reservation, p.D-16.
(*3) Bishop Museum(1919): Noted Places on the Island of Oahu, The O’ahunui Stone.