(前回からの続き)
彼の最初の仕事は、養魚池を造ることでした。
そこで自分の家から行きやすいが、波が砕ける岸辺に近い場所を探しました。
そしてその池に、あらゆる種類の魚を蓄えました。
岩場の高台の上には、魚のカプを遵守(じゅんしゅ)するための、神社も造りました(N.1)。
そして、それに彼自身の名前を付けて、クウラと呼びました。
「クウラはこのように、漁師になるための準備を全部やった。
と言うことは、彼は神の存在を信じているのだ。
--- 何物にも優る、唯一最高の力を持つ神を。」
だからこそ、彼はこの神社を造ったのでした。
--- 彼が一番最初に捕まえた魚を、魚の神に奉納するための場所を。
彼はただ自分の望みを、口に出して言えば良いのです。
それだけで、お望みの魚が目の前に現われるのでした。
これを耳にした王のカモホアリイは、クウラを王の漁師のボスに任命しました。
その当時、王はカウイキの丘がある地、ワナナルアに住んでいました。
そしてクウラの池には、あらゆる種類の魚が十分に蓄えられていました。
そこで王の食卓には旬であろうが無かろうが、常にあらゆる珍しい魚たちが並んだのでした。
このようにクウラは王の魚料理の大黒柱でしたから、当然ながらカモホアリイに重んじられました。
そして2人の間に如何なる不和も無いまま、何年もが過ぎました。
(次回に続く)
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(ノート)
(N.1) 魚のカプ(fishing kapu):
カプはかつてのハワイ社会におけるタブーで、日常生活の隅々まで細かく規定していました。魚のカプの中で最も知られるものの1つが、カツオとサバの捕獲時期のカプです。これは、カツオとサバを半年毎に交互に禁漁とすることで、年間を通じて魚を捕りながら、資源としての魚を守るものでした。
(注記)
(*1) Thomas G. Thrum(1907): Hawaiian Folk Tales. 21. Ku-ula The Fish God of Hawaii, Translated from Moke Manu by M.K. Nakuina, p.215-229.
養魚池を造る
クウラと妻がレホウラに住んでいる間、彼は朝から晩まで自分が選んだ仕事、漁に励みました(*1)。彼の最初の仕事は、養魚池を造ることでした。
そこで自分の家から行きやすいが、波が砕ける岸辺に近い場所を探しました。
そしてその池に、あらゆる種類の魚を蓄えました。
岩場の高台の上には、魚のカプを遵守(じゅんしゅ)するための、神社も造りました(N.1)。
そして、それに彼自身の名前を付けて、クウラと呼びました。
神の存在を信じる
人々は、こんな風に強く主張します。「クウラはこのように、漁師になるための準備を全部やった。
と言うことは、彼は神の存在を信じているのだ。
--- 何物にも優る、唯一最高の力を持つ神を。」
だからこそ、彼はこの神社を造ったのでした。
--- 彼が一番最初に捕まえた魚を、魚の神に奉納するための場所を。
魚たちがクウラに従う
クウラが行ったこの儀式により、ありとあらゆる魚が彼に従順(ラカロア)になりました。彼はただ自分の望みを、口に出して言えば良いのです。
それだけで、お望みの魚が目の前に現われるのでした。
王の漁師のボスになる
このことがハナ・モクの隅々にまで知れ渡りました。これを耳にした王のカモホアリイは、クウラを王の漁師のボスに任命しました。
その当時、王はカウイキの丘がある地、ワナナルアに住んでいました。
そしてクウラの池には、あらゆる種類の魚が十分に蓄えられていました。
そこで王の食卓には旬であろうが無かろうが、常にあらゆる珍しい魚たちが並んだのでした。
このようにクウラは王の魚料理の大黒柱でしたから、当然ながらカモホアリイに重んじられました。
そして2人の間に如何なる不和も無いまま、何年もが過ぎました。
(次回に続く)
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(ノート)
(N.1) 魚のカプ(fishing kapu):
カプはかつてのハワイ社会におけるタブーで、日常生活の隅々まで細かく規定していました。魚のカプの中で最も知られるものの1つが、カツオとサバの捕獲時期のカプです。これは、カツオとサバを半年毎に交互に禁漁とすることで、年間を通じて魚を捕りながら、資源としての魚を守るものでした。
(注記)
(*1) Thomas G. Thrum(1907): Hawaiian Folk Tales. 21. Ku-ula The Fish God of Hawaii, Translated from Moke Manu by M.K. Nakuina, p.215-229.