(前回からの続き)
そこではカネ神がルア-ヌウに、こう命じました。
『山の上に登りなさい。そして生贄(いけにえ)を奉(ささ)げるのです。』
これに応えてルア-ヌウは、カヒキ-クーの山々に目を向けました(N.1)。
しかしどの山を見ても、生贄を奉げるに相応(ふさわ)しい、とは思えませんでした。
そこでルア-ヌウは、神に尋ねました。
『どこに行ったら、奉納に相応しい場所が見つかるのですか? 』
『東の方角に旅をして回りなさい。
そして、もしも天辺(てっぺん)が鋭く尖(とが)った丘を見つけ、
しかもそれが、断崖絶壁のように切り立って、海に突き出していたら、
それこそが生贄を奉げる丘だ。 』
そこでルア-ヌウと息子クプル-プル-ア-ヌウ、そして召使いのピリ-ルア-ヌウは、
彼らのカヌーに乗り込むと、東の方角に向けて勇(いさ)んで出発しました。
ハワイの人々はこの出来事を記念して、オアフ島コオラウ山脈のクアロアの背面にそびえる山を、
(ルア-ヌウの別名の一つをとって、)カネ-ホア-ラニと呼びました。
さらに、その山の手前にある小さな丘は、クプ-プル、およびピリ-ルア-ヌウ、と名付けられました(N.2)。
それは、ヌウの一番上の息子から数えても、一番下の息子から数えても同じです。
そして、この一番上の息子が、カナカ-マオリの先祖の代表とされています。
ここでカナカ-マオリとは、カネの本土(アイナ クムパア ア カネ)に住んでいる人々を指します。
一方、一番下の子は白い人々(カ ポエ ケオケオ マオリ)の先祖でした。
このルア-ヌウは (、ちょうどアブラハムがノアから数えて10代目であるように、ヌウから数えて10代目ですが、
さらにまたアブラハムと同様に)、彼の孫キニ-ラウ-ア-マノを通して、12人の子供たちの先祖になりました(N.3)。
そしてルア-ヌウはメネフネたちの元祖であり、この伝説によると、ポリネシア人はメネフネたちの血筋を引いているのです。」
(次回に続く)
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(ノート)
(N.1) カヒキ-クー(Kahiki-ku):
かつてのハワイでは、頭上に広がる半球状の空を複数の層に分割し、各層に名前を付けていました(*3)。カヒキ-クーはその中の一つで、地平線のすぐ上にある層の呼称です。
従って、ここで言う 「カヒキ-クーの山々」とは、「彼の周囲にあって、地平線から頭を出している山々」を指します。
(N.2) クプ-プル、ピリ-ルア-ヌウ(Kupu-pulu, Pili-lua-nuu):
クプ-プルは、ルア-ヌウの息子(Kupulu-pulu-a-Nuu)に因(ちな)んだ名前、またピリ-ルア-ヌウは、召使い(Pili-lua-nuu)に因んだ名前です。
(N.3) 丸括弧(まるかっこ)内:
本文の丸括弧内は、Fornander(1878)の著書には記載が無く、Thrum(1907)で追記された部分です。この追記により、ルア-ヌウと旧約聖書のアブラハムの類似点が、明確にされています。
(注記)
(*1) Thomas G. Thrum(1907): Hawaiian Folk Tales. 1. Legends Resemblng Old Testament History. By C. M. Hyde, p.15-30.
(*2) Abraham Fornander(1878): An Account of The Polynesian Race, its orgin and migrations and --, Vol.1. p.97-98.
(*3) D. Malo(translated by M.B. Emerson)(1898): Hawaiian Antiquities. p.30.
山に登り生贄を奉げなさい
ルア-ヌウについては、上のお話しとは別に、もう一つ伝説があります(*1)(*2)。そこではカネ神がルア-ヌウに、こう命じました。
『山の上に登りなさい。そして生贄(いけにえ)を奉(ささ)げるのです。』
これに応えてルア-ヌウは、カヒキ-クーの山々に目を向けました(N.1)。
しかしどの山を見ても、生贄を奉げるに相応(ふさわ)しい、とは思えませんでした。
そこでルア-ヌウは、神に尋ねました。
『どこに行ったら、奉納に相応しい場所が見つかるのですか? 』
クアロアから東に向かう
神は彼に答えました。『東の方角に旅をして回りなさい。
そして、もしも天辺(てっぺん)が鋭く尖(とが)った丘を見つけ、
しかもそれが、断崖絶壁のように切り立って、海に突き出していたら、
それこそが生贄を奉げる丘だ。 』
そこでルア-ヌウと息子クプル-プル-ア-ヌウ、そして召使いのピリ-ルア-ヌウは、
彼らのカヌーに乗り込むと、東の方角に向けて勇(いさ)んで出発しました。
ハワイの人々はこの出来事を記念して、オアフ島コオラウ山脈のクアロアの背面にそびえる山を、
(ルア-ヌウの別名の一つをとって、)カネ-ホア-ラニと呼びました。
さらに、その山の手前にある小さな丘は、クプ-プル、およびピリ-ルア-ヌウ、と名付けられました(N.2)。
カナカ-マオリとメネフネ
ルア-ヌウは、ヌウから数えて第10代目の子孫です。それは、ヌウの一番上の息子から数えても、一番下の息子から数えても同じです。
そして、この一番上の息子が、カナカ-マオリの先祖の代表とされています。
ここでカナカ-マオリとは、カネの本土(アイナ クムパア ア カネ)に住んでいる人々を指します。
一方、一番下の子は白い人々(カ ポエ ケオケオ マオリ)の先祖でした。
このルア-ヌウは (、ちょうどアブラハムがノアから数えて10代目であるように、ヌウから数えて10代目ですが、
さらにまたアブラハムと同様に)、彼の孫キニ-ラウ-ア-マノを通して、12人の子供たちの先祖になりました(N.3)。
そしてルア-ヌウはメネフネたちの元祖であり、この伝説によると、ポリネシア人はメネフネたちの血筋を引いているのです。」
(次回に続く)
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(ノート)
(N.1) カヒキ-クー(Kahiki-ku):
かつてのハワイでは、頭上に広がる半球状の空を複数の層に分割し、各層に名前を付けていました(*3)。カヒキ-クーはその中の一つで、地平線のすぐ上にある層の呼称です。
従って、ここで言う 「カヒキ-クーの山々」とは、「彼の周囲にあって、地平線から頭を出している山々」を指します。
(N.2) クプ-プル、ピリ-ルア-ヌウ(Kupu-pulu, Pili-lua-nuu):
クプ-プルは、ルア-ヌウの息子(Kupulu-pulu-a-Nuu)に因(ちな)んだ名前、またピリ-ルア-ヌウは、召使い(Pili-lua-nuu)に因んだ名前です。
(N.3) 丸括弧(まるかっこ)内:
本文の丸括弧内は、Fornander(1878)の著書には記載が無く、Thrum(1907)で追記された部分です。この追記により、ルア-ヌウと旧約聖書のアブラハムの類似点が、明確にされています。
(注記)
(*1) Thomas G. Thrum(1907): Hawaiian Folk Tales. 1. Legends Resemblng Old Testament History. By C. M. Hyde, p.15-30.
(*2) Abraham Fornander(1878): An Account of The Polynesian Race, its orgin and migrations and --, Vol.1. p.97-98.
(*3) D. Malo(translated by M.B. Emerson)(1898): Hawaiian Antiquities. p.30.