087 民話 メネフネ・ヘイアウを造る(1.ヘイアウとは?)

(新しいお話しの始め)

はじめに

スラムさんの民話の4番目は、 「ヘイアウを造る」です(*1)。
前回までは水路やカヌーを造るお話しでしたが、今回のメネフネはヘイアウ(神社)を造ります。

スラムさんの本文に入る前に、まず 「ヘイアウ」について、簡単にお話ししましょう。

ヘイアウとは?

・神に祈り供え物を捧げる場所
かつてハワイの人々は、自然やそこに宿る神々に見守られて、生活していました。


タロ(芋)を育てたり、漁に出かけながら、神に豊作や大漁を祈願しました。
そして、収穫した作物や捕えた獲物(えもの)は、何よりもまず始めに、神にお供えしたのです。

また、首長たちは、戦いに先立ち勝利を願い、神に祈り供物を捧げました。

この「神に祈り供物を捧げる場所」こそが、「ヘイアウHeiau」でした。
"hei" の原型 "hai" は英語の "sacrifice" に相当し、「神に供物を捧げる」ことを意味するからです(*2)。

・大きさは大小さまざま
ヘイアウの大きさは、日本の神社と同じように、大小さまざまです。

小さいものの代表は、漁業の神を祀るコア(ko'a)と呼ばれるヘイアウで、海や川、池の近くに数多くありました。
一方、大きいヘイアウの代表はマウイ島のピイラニハレで、その規模(幅105m x 長さ125m)はポリネシア最大といわれています 。

・ヘイアウの大半は首長が造った
当時のハワイは厳格な階級社会で、大きく4階級(首長、神官・専門家、平民、奴隷)に分かれていました。
全人口の約9割が平民でしたが、大半のヘイアウを造ったのは、最上階級の首長だったと言われます。


ヘイアウのなかでも戦いのヘイアウは特に重要で、大首長(主要4島の長)だけが造ることを許されました。
また、戦い以外のヘイアウでも規模の大きいものは、首長でないと造れませんでした。 

しかし、コアなどの小さいヘイアウは、平民でも造ることが出来たようです。

(次回に続く)
[目次へ戻る]

(注記)
(*1) Thomas G. Thrum(1907): Hawaiian Folk Tales.
(*2) Valerio Valeri(1985): Kingship and Sacrifice: Ritual and Society in Ancient Hawaii.